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音の棲む場所より

音の棲む場所より

作曲家D氏のこと 年譜など

クロード=ドビュッシー氏
なかなか曲者でございますね。いろいろな意味で(苦笑)
ただ、日本の音楽界において、モーリス氏(ラヴェル)とこの御仁は
かなり「直弟子的系譜」を持たれているので、そう言う意味で勉強しやすい。
ドビュッシーさんは 翼を持つ美貌の女史からの系譜。
ラヴェル氏は、親日家であったペルルミュテール氏からの系譜と
戦後しばらくしてフルブライト財団の基金により米国留学をした方々によって。
というわけで、ご指導もかなり決定事項が多かった記憶が・・・。

まずは年譜です(曲目は必要なもの以外ピアノ曲のみ)

1862年 - 8月22日 誕生。
1871年 - モーテ・ド・フルールヴィル夫人にピアノのレッスンを受ける。
1872年 - パリ音楽院入学。以後12年在籍。
     ピアノをマルモンテル、ソルフェージュをラヴィニャック
     和声学をデュラン、作曲法をギローに師事。
     「フーガ@16歳の習作」が発見される。
1880年 - フォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同伴。
    (彼女はチャイコフスキーのパトロンでもあった)
     チャイコフスキーにボヘミア舞曲@18歳を送り酷評される。
1883年  『拳闘士』(カンタータ ローマ大賞2席受賞曲)
1884年 - ローマ大賞を受賞。
1885年 - ローマに滞在。
1887年 - パリに戻る。
1888年 - 1度目のバイロイト行き。
1889年 - パリ万国博覧会で東洋芸術に接触、2度目のバイロイト行き。
1890年 -『ベルガマスク組曲』『夢』『ロマンティックなワルツ』
    『マズルカ』『バラード』
 ★のちに重要なテーマとなる「もう森へは行かない(童謡)」との出会い
1891年 -『2つのアラベスク』。この頃、初期のピアノ小品や歌曲
1893年 - メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」に出会う。
1894年 - 『牧神の午後への前奏曲』。
1899年 - リリー・テクシエと最初の結婚。
1901年 『ピアノのために』
1902年 - 『ペレアスとメリザンド』初演。(原作者と大げんか!)
1903年  『版画』
1905年 - 『海』、エンマ・バルダックと同棲。
     長女クロード=エンマ(シュウシュウ)誕生。
1910年 - 『前奏曲集 第1集』。
1911年 - 舞台音楽劇『聖セバスティアンの殉教』。
1913年 - バレエ音楽『遊戯』。バレエ・リュスのために作曲。
1914年 - 第一次世界大戦勃発、大腸癌を発病。
    「様々な楽器のための6つのソナタ」着手(完成は3曲)。
1918年 - 3月25日 死去。
1919年 - 娘クロード=エマ死去。

恋とトラブルの人生でもあり・・・。大げんかの人生でもあり(爆)
彼の曲は「付随」しやすい。けれど本来の魅力を出そうとしたら
音ののちにくる響きの尻尾をとらえないといけないという理由において
逆に「映像・舞踊以外の付随(つまり音声)」をさせると
その魅力が半減すると考えます。
だ~か~ら~天下のメーテルリンクとけんかしたりするのよね(苦笑)
「夢」はヴァニエ夫人のベッドサイドで一晩中ひいていたらしい(爆)
ま・・・不眠症の治療曲だったということで。
彼の「オタク性」とか「フェチ加減」については口を閉ざしておきます(爆)


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